牛丼の吉野家は、正しくはこう書く。


料亭の吉兆は、こう書く。


どちらも、正式な表記はくちの上は「士(さむらい)」ではなく、「土(つち)」!
ロゴ表記はたしかにそうなっている。

https://www.yoshinoya.com/

https://www.kitcho.com/tokyo/ginza_kitcho.php
「吉」と区別するために、くちの上に「土(つち)」と書く字を、「つちよし」と呼ぶらしい。「つちよし」はいわゆる異字体だ。
この件で、デジタル時代における「名前」について、思うことがあった。
ことの始まりは保存できない謎のエラー
先日「吉兆」の記事を書いているときに、謎のエラーに見舞われた。
「更新に失敗しました。データベース内の投稿を更新できませんでした。」と表示され、何度「保存」ボタンを押しても、記事が保存されないのだ。

原因を探ると、どうやら「吉兆」の本来の字を解説したこの部分。

拡大↓

「つちよし」ほうの「吉」の字が入っていると、記事が保存ができない!!!!
どうやらわたしが使っている「WordPress」というシステムでは、「つちよし」のほうの「吉」の字はエラーとなり弾かれてしまうようなのだ。(ちなみに、WordPressは決してマイナーなものではなく、全世界ウェブサイトの4割を占めるとも言われる超メジャーなシステムである)
結局、「つちよし」での解説は諦め、常用漢字の「吉」で記事を書いたのだった。

吉野家と吉兆のweb対応の違い
「つちよし」の字でパッと浮かんだ「牛丼の吉野家」を検索をしてみると、おもしろいことに気づいた。
牛丼の吉野家は、発信の全て(コンピューター文字は全て)常用漢字の「吉」に統一しているようだ。


一方、料亭の吉兆は、「東京吉兆」は「つちよし」で、「京都吉兆」は常用漢字の「吉」と対応はまばら。


吉野家も吉兆も、ロゴ(画像)の表記は「つちよし」でありながら、コンピューター上に流す漢字への対応が分かれていたのだった。
名前は「打つもの・検索するもの」へ
名前が「読むもの・書くもの」だった時代から、「読むもの・打つもの・検索するもの」になっている現代で、入力がしにくい漢字は大変に不利だと思った。
一般個人の名前であれば、もちろんルーツやアイデンティティが最優先、本来の字が使われるべきである。
しかし、ビジネスの名前は違う。
思えば、これまでも不便を感じたことがあった。活動をときどきチェックする作家さんのペンネームが特殊な文字を含むお名前で、この方の情報はほんとうに探しにくい。Amazonで新作があるかな?とチェックするにも、ご本人のSNSに移動して、コピーして、貼り付けないと望む情報が引っ張り出せない。
文字の揺らぎは、情報の集約を妨げる。Googleは検索ではふたつの「吉」の字のどちらも拾ってくれたが、「タグ」だったら別モノ扱いになるだろう。
デジタル時代では、SNS、口コミ、予約、検索……あらゆるシーンで「入力可能性」が問われている。


まとめ:「読み、書き、そろばん」から「読み、入力、入力」へ
繰り返しになるが、一般個人の名前であれば、字の表記の正確性が最優先である。名前の漢字はアイデンティティに関わる。「渡辺さん」と「渡邊さん」と「渡邉さん」は別の字であり、最大限書き分ける配慮が必要である。
しかし、ビジネスに関わる名前では話が違う。
ブランディング的な意図で、旧字体や異字体を使う意図はよ〜〜〜くわかる。ちょっとクラシカルな感じはかっこいいし、こだわりや歴史を感じる。しかし、昭和の時代のような看板が読めればOKの時代と、一億総デジタル文字の時代では、人々の文字の取り扱い方は大きく異なる。意図が「ブランディング」なのであればなおさら、入力のしやすさという視点が必要なのではないだろうか。
「入力可能性」が問われる、店名、地名、ペンネーム。検索されて、入力されてナンボの場面で、正式な漢字の表記にこだわる価値は、どの程度あるのだろう。
「読み、書き、そろばん」が基礎的な能力だった時代から、「読み、入力、入力」になって久しい。「読めるけれど、書けない字」がたくさんあることは認知されているけれど、「読めるけれど、打ち込みにくい字」という視点はまだ十分に広がっていないように思う。
コンピューターが対応していても、人間が対応できるとは限らない。人が配慮しなければ不便になってしまう領域が、まだまだあるのだと思う。