「持論を展開」という言葉が引っかかる。
メディアで「〇〇氏が持論を展開」と見出しがつけられるとき、そこには炎上の種を提示するような雰囲気がある。世間一般の感覚とはズレのある発言をしましたという煽りのニュアンスや、他人の意見を聞かないで勝手な自己主張をしましたという批判のニュアンスを感じる。中立な記事に見せかけて、書き手の否定的なエッセンスが込められていやしないだろうか。
本来、「持論」という言葉にも、「展開」という言葉にも、否定や肯定のニュアンスは含まれていない。
なぜ、「持論を展開」とセットで使われた途端に、チラッと書き手のネガティブな価値判断を感じるのだろうか。
当然だが、持論とは一般論とは異なる意見であることを示す。わざわざ発言するのだから、他の人と同じではないのだろう。
もうひとつ当然のこととして、発言には、発言者が伴う。にもかかわらず、発言者の名前のあとにあえて「持論」という特定の所有感のある言葉を並べるところに、何かしらの意志を感じる。「意見」ではなくて「その人独自の意見」と強調するような。
「頭の頭痛が痛い」にはもちろん及ばないが、当たり前のことを繰り返してアピってる感じが、若干小馬鹿にしたニュアンスに紐付いているのかもしれない。
「展開」という言葉にも、大きく広げました、みたいな煽りが含まれている気がする。
……と、いろいろ考えてみたけれど、一番の理由はやはり刷り込まれているからなのだろう。
共感を強調するときには「思いを語る」みたいなやわらかい言葉をつかうのに、どうなんですかね〜問題ですね〜という展開になるときには「〇〇氏が持論を展開」と表現する。そんな場面を繰り返し繰り返し見るうちに、いつの間にかその後の展開を察するようになったのかもしれない。
「〇〇氏が意見を表明」
「〇〇氏が自身の見解を語る」
「〇〇氏が〜について言及」
「〇〇氏の発言が注目集める」
「〇〇氏が持論を展開」としなくても、ほかにいくらだって表現はある。
発信者こそ「この発言は問題になりそうだ」と自分の意見の形で言えばいい。
ニュアンスで煽らずに、いっそ「〇〇氏が問題発言」「〇〇氏が物議を醸す」「〇〇氏が波紋を広げる」くらいの言葉を使ったらいい。
中立そうな紋切り型の表現から、ちくちくを感じるのは好きじゃない。
以上、鈴木氏が持論を展開しました。ちゃんちゃん!