山岳救助の議論をちょっと違う角度から考えてみた 年額入山料という提案|雑記#0030

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無駄な登山救助要請を減らすために、山岳救助費用を有料化にしてはどうか?という機運が高まっている。

いろんな場面で「減らしたいなら、有料にすればよい!」みたいな話が持ち上がるたびに、「え、そういう話なの?」と思うことが多々ある。(同じく「増やしたいなら、お金を与えれば良い!」も単純すぎでしょ、とツッコミたくなる)

で、わたしが考えた救助要請を適切にするアイディアは、「入山料をそれなりの値段の年額にする」、というやり方だ。

それなりの値段であれば、まず、覚悟して登る。通報で迷わせるのではなく、大元の入り口でフィルターをかけるわけだ。

救助の利用可能性の高い「登山回数が少ない人・登山に慣れてない人」には割高となることで、平等感があるところも理想的である。頻繁に登る地域の人には1回あたりが安く、観光客には“重み”を持たせることができる。

また、「入山料」であれば「救助費用の徴収」と違い、自然保全・安全管理費用としても継続的に使える可能性もでてくる。そもそも発生しない方がよい遭難・救助要請を、「減らす」活動に当てることができる!

山のこと、ぜんぜん詳しくないです。でも、今回のニュースで「これは山の話だけじゃないかも」と思ったので、いろいろ考えてみました。けっこういいアイディアだと思うのだけど、どうだろう。

もくじ

そもそもの課題はコストなのか、感情なのか?

「減らしたいなら有料にすればいいじゃん」的な発想の問題点を考える。

そもそもの課題がコスト的な話なのか、日本人と海外の人の負担の不平等感の話なのか。適切な出動への仕組みの整理なのか。このあたりの問題が混在しているように感じる。

極端な話、たとえば救助費用が1回100万円と設定されたとして、気軽な通報の抑止力にはなるかもしれない。一方で「お金を払えばOKなのね」と、(日本円が安くて安くて仕方のない)海外の人が気軽に救助を利用するようになっても、この話は「解決」と言えるのか。

たぶん、そういう話ではない。単純な有料化には「お金を払えばOK」という誤解が生まれるリスクに加え、感情論的な不平等は余計に深刻化する可能性すらある。

単純な有料化の致命的なデメリット

もうひとつ忘れてはいけない視点が、命の危険に関わる行動に財布の判断が持ち込まれるデメリットだ。今回の議論では「通報者=救助要請者」というパターンがやたらと注目されているが、第三者からの通報も相当に多いはずだ。「通報者(第三者)」の判断の重さは確実に増すだろう。

たとえば、救急車は有料の国がほとんどらしいが、国によっては救護された人からの費用回収ができない場合に通報者に支払い義務が発生することもあるようで、「万が一、自分の判断が間違っていたら……」という不安から、通報が遅れたり、ためらわれたりする事例が問題になっている。そうなると、倒れている人が「お金を持っていそうか・実際に現金を持っているかどうか」で、通報する・しないを判断する状況が起きて当然だ。

山の話に戻すと、明らかに軽装の登山者が体調不良で苦しんでいる状況に出会い、本人が「お金がないので……呼ばないでください……」とうめき声をあげていたら、どうするべきなのだろう。悩みに悩んで通報して、いざ救助されて、まったく命に別状なく「寝不足の二日酔いでしたちゃんちゃん」となったとしたら、「無駄な通報」になるのだろうか。

そもそも命が助かることがゴールである救助という場面において、命に別状のないことが「無駄な通報」になる可能性になるなんて、しんどすぎる。無駄かどうかは結果論だし、無駄だったかどうかを誰がどうやって判断するのだろう。

通報を抑圧して減らす工夫よりも、通報が必要な状況を減らす発想で解決するべきなのでは?

入山料を年額にするという発想

以上の課題を解決できる方法として、冒頭の入山料を年額にするというやり方を思いついた!

たとえば、自治体ごとの山岳協会が管理するオンライン登録制にして、主要な山では「登山パス」の提示が必要になるような仕組み。必要であれば、登録時点で登山への知識や、服装への理解の有無を確認することができる。年額入山料を払わなければそれは万引きと同じなので、ルール違反には司法で判断をすれば良い。

「年額」であることで、ある一年を通して、地元の人も、観光客も、山への参画意識をもつことができる。救助要請だけでなく、環境維持や自然保護も含め、当事者感覚を持つ人を増やすことができる。ゆるやかな共同体的な費用負担の仕組みである。

「お金を取る」という発想は、確実に「その代金を払えばサービスを受ける取引が成立する」と受け取る人を生む。単純な費用負担で解決を期待するのではなく、「当事者意識がない人のふるまいが、ぶっちゃけ感情論で気に入らないんだよね」というマインドの部分も受け入れて、根本から解決するやり方を組み立てるべきではないだろうか。

山の話だけではない。「減すために有料に」「増やすために報酬を」という話に出会ったとき、「ほんとうに、そこなんだっけ?」と問い直す。その一呼吸が加わるだけで、やさしさを、やさしさのままで続けていく道が見えてくる気がする。

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運営者情報

お粥研究家。24時間おかゆのことを考えている人。「食事でじぶんを整える」をテーマに、毎朝の自分の体調に合わせたおかゆを作っている。お粥を作るのも食べるのも見るのも大好き。

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