私に病気がある、と表現するときにいろいろな伝え方がある。
①私は花粉症持ちです。/私は花粉症があります。
②私は花粉症です。
①と②を記号に落とすとこんな感じ。
①私∋病気
→私の要素のひとつとして病気がある、という捉え方。
②私=病気
→私は病気、と同化する捉え方。
①と②はニュアンスの違いなのだろうか?
いや、私は①と②の間にはとても大きな隔たりがあると感じている。
私=病気なのか?
具体的に考えてみる。
たとえば基本的に治る病気の場合。インフルエンザとか、風邪とか。
私はインフルエンザになった、うちの夫は風邪だ、などと「同化」表現することの方が多いように感じる。たぶんこれには治るものだから「一時的な状態」と捉えて、こう表現しても抵抗がないのだと思う。
では、たとえば治療に長い時間がかかるもの、一生付き合う身体の状態だったら?
私は心臓病だ、うちの夫は視覚障害者です……?
いや、たぶん、こう言う。
私は心臓に病気がある。うちの夫には目に障害があります。
たしかに私から心臓病が導けるのはその通りなのだけど、心臓病から私は導けない。私は心臓病とはイコールではないし、私の全てが心臓病でない。だから「私は心臓病だ」と表現するとなにかこう、つっかかる心地があるのだ。
あってる、あってるんだけどね
自分のことや、家族のことや身近な人のことだと、きっとナチュラルに「〜がある」「〜を持っている」という言葉を使う。
だって、私は私だから。夫は夫だから。病気や身体の状態は、私や夫を表す要素のひとつでしかないから。
でも、ちょっと離れた人になった時に、その人を捉える全体として、病や障害を指してしまうことがある。
〇〇ちゃんちのお父さんは△△(病気/状態)なんだって。
「あの人は△△(病気/状態)」。
たしかに事実かもしれない。あってる、あってるんだけどね。
でも、あの人には△△(病気/状態)以外にも、◎◎の特技とか、××の趣味とか、いろ〜んな要素がある。絶対にある。あの人の△△(病気/状態)以外のあれこれを実際に知っていたら、それらを切り捨てることにう〜〜〜んって詰まっちゃうような気がする。
I have a headache.の延長線で
だから私は想像したい。
よく知らない〇〇さんだとしても、△△(病気/状態)以外に持っているものがたくさんあって、△△(病気/状態)というのは一面に過ぎないはずだ、って。
頭が痛い、を英語では I have a headache.と表現すると習ったとき、なんだか不思議な心地がした。頭痛を持ってるってどういうこと?なんとなくよそよそしような、切り離すような、変な感じ……って。
でも、今はなんとなくわかる。
私イコール頭痛ではなくて、私は頭痛を持っている、って表現する感覚。
「あの人は△△(病気/状態)を持っている」。(&きっと他にもいろんなものを持ってるけど!)
いいよね(カッコ)の含み!
だって、わからないのがほんとうだもの。わからないものを言い切りたくないもの。
I have a headache.の延長線で捉えていく想像の方法は、とてもやさしくて、誠実で、ありのままのような気がする。
そんなふうに病を、身体を、捉えていけたらいいと思った。