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料理は五感で「楽しむもの」──?|雑記#0055

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なるべく精肉店でお肉を買うようにしている。食べる分だけ使う分だけを買えるから経済的だし、トレーがないからゴミも少ない。新鮮でおいしいお肉は少量でも満足感がある。

ところが先日、なじみの精肉店のひとつで買った鶏肉の一部が、腐っていた。

ショックだった。

精肉店で買ったのに……という店への幻滅のショックではなくて、食材を疑わずに料理を続けた自分の危機感のなさがショックだったのだ。

もくじ

違和感と、思考停止と

その日は鶏のおかゆを作ろうとしていた。

鶏肉に塩をもみこむ下ごしらえの段階で、「ん?」と思う違和感があった。鶏肉をビニール袋に入れた瞬間に、ツンとした、軽い刺激臭がふわっと広がった。でも、ちょうどシンクのパイプ掃除の頃合いだったこともあって、どこからの何の臭いであるのか自信がなかった。おかしいなとは思いはしたけれど、すぐに別の作業に気を取られて、そのまま料理を続けてしまった。

米を研ぎ、鍋に入れ、肉とお水も加え、火にかけていると、ある瞬間、先の刺激臭が急激に強くなった。

うわ、肉か!?やばい!

……そう、鶏肉から強烈な臭いが出ていたのだ。

あわてて火を止めて、窓を開け、換気扇を強にした。料理の最中に出会ったことのない、強烈な異臭。(あの、火葬場のような……)

なんで……?ついさっき、お肉屋さんで買った鶏肉なのに……?

バクバクする心臓を感じながら、よ〜〜〜く目を凝らして鍋の中を見てみると、鶏肉の一部、ごく一部が、紫色に変色していた。腐っているか、傷んでいるか……ほんの数ミリの肉片が、まさかこんな結果を生むなんて、考えてもみなかった。

料理は五感で「楽しむ」だけのものじゃない

今回の鶏肉の傷みは、目で見落としてしまったとしても、臭いで気づけたことだった。せっかく鼻のセンサーが働いたのに、どうしてスルーしてしまったのだろう。

自分以外の人が食べるものだったら、違和感があった時点で原因がわかるまで調理の手を止めた。正直、自分が食べるものだし、まあいっか、という気持ちがあったのだと思う。自分が口にしようとするものに対して、疑うことをすっかり忘れていた自分に、ちょっと怖くなった。

「料理は五感で楽しむもの」、という表現があるが、五感を使うのは「楽しみのため」だけではない。五感の機能は、違和感を捉えるためでもあるのだ。というか、本来そっちが先のはずだ。

五感は、ただの快楽器官じゃない。生きるために必要な、危機管理システムでもあるのだ。

安全を保証されても安心しちゃいけない

もうこの精肉店では買わない!……という判断は、ひとつの安全対策の選択の結果なのかもしれない。でも、わたしは問題の根本はそこじゃないと思った。

スーパーでも、精肉店でも、買ってきてすぐのものだとしても、食材が傷んでいることはある。ごくごくまれにだとしても、食べちゃいけないものが混ざっていることがある。

食べ物の安全を100%の保証することなんてできないのだから、消費者の私が100%の安心を抱いてはいけない。

自分の五感と、もう一度仲良くならないと。そんなことを思ったできごとだった。

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運営者情報

お粥研究家。24時間おかゆのことを考えている人。「食事でじぶんを整える」をテーマに、毎朝の自分の体調に合わせたおかゆを作っている。お粥を作るのも食べるのも見るのも大好き。

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