多摩動物公園に「スイ」という名前のオオカミがいる。
2025年の年末に飼育エリアから脱走した「脱走オオカミ」として、一躍人気動物の仲間入りを果たした。
脱走オオカミ スイさん
スイが脱走したのは、2025年12月28日、多摩動物園の2025年最後の営業日のことだった。
多摩動物園は広い。上野動物園の3倍以上もの広さがあり、坂あり、森ありの、半日かけても回りきれないほどの大きな動物園である。
幸い、スイの脱走範囲は園内。来園者への屋内への避難が呼びかけられ、多摩動物園全体が急遽臨時休園となったこともあり、テレビでも報道されるニュースとなった。記憶が正しければ、ニュース速報にもなっていた。
最終的には、4時間ほどで捕獲。麻酔銃を使って捕獲され、脱走劇は幕を閉じた。来園者にも、スイにも、怪我がなくて何よりだった。

↑後日追記された動物園からのお知らせ『脱走した「スイ」は元気です』。このランランとした笑顔、たまらん!
“脱走オオカミ”を推しすぎるわけにはいかないが
「脱走オオカミ」という絵本のような肩書き(?)、テレビに映される凛とした表情にすっかり心を奪われてしまったわたしは、年始にスイさんに会いに行った。
同じようにスイさんが気になってしまった人は少なくないようで、スイの暮らすアジア園の観覧エリアはちょっとした人気スポットだった。


(大人)「あ、あの子が脱走オオカミの!」
(子ども)「す〜〜〜いちゃ〜〜〜〜ん」
(常連っぽい方①)「こんなにオオカミの展示に人がいるの初めてみるね笑」
(常連っぽい方②)「ほんとにね笑」
動物園としては”不祥事”でもあるから、大々的に「あの!脱走オオカミ!スイ」と打ち出すことこそ避けている様子であったが、経緯の説明や展示の縮小のお知らせはしっかりと掲示し、きちんとお土産売り場のよい場所にオオカミグッズを置くなど、絶妙な関心の回収をしていた。



スイさん、母になる
その脱走劇から5ヶ月後のこと。なんと、スイさんが3匹のオオカミを産んだという知らせを新聞で目にした。
同じ展示場で暮らす、オスのオオカミ「カヨラン」との子だそうだ。ひょっとしたら、身体の繁殖モードのエネルギーが脱走を引き落としたのかなあ、と、妙に納得をした。
しかし、残念ながら1匹は生育の過程で亡くなったようで(亡くなった姿も発見されず……食べちゃったのかな……)、スイさんは2匹のメスの子の母として、オスのカヨランとともに4匹家族となった。
カヨラン(火)、スイ(水)、バウム(木)、エアデ(土)
その、子の名前がすごいのだ。バウムとエアデ。スイさんとカヨランの故郷の言葉をルーツにしたという。
バウムはドイツ語で「Baum=木」、エアデは「Erde=土・大地」。
カヨラン、スイの子の、バウムとエアデ……カヨラン(火)、スイ(水)、バウム(木)、エアデ(土)!
こ、こ、これは!Wochentag!week!
火・水・木・土。そしてきっと、(金)は亡くなった一匹の子……!気のせい?いや、たまたまにしては……!
では、もしそうだとして、なぜ金曜日を空けたのだろうか?
「木曜日」を空けてしまうと繋がりがわかりにくい、「土曜日」にすると埋葬感が強すぎる、だから消去法で「金曜日」とも考えたが、ひょっとしたら、金曜日のルーツに理由があるのかもしれない。
金曜日(独Freitag、英Friday)のルーツは北欧神話の女神 Freya に対応する。Freyaは豊穣の女神、愛と美の女神として有名だが、戦死者を迎える女神でもある。生と死の両方に関わることから、生命の循環そのものに近い存在として見ることもできる。つまり、フレイヤは「生」の女神であると同時に、「死」をも抱えた女神なのだ。
……もしそうだとしたら!もしそうだとしたら!名前をつけた方のセンス!すごくないですか!?
起きてしまったことをどうするか
隠しもせず、煽りもせず、きちんと経緯を伝え、展示を縮小しながらもグッズを上手に並べる動物園。悲しみをなかったことにせず、命名の配置で物語を残す動物園。
起きてしまったこと(脱走・死)を、なかったことにも、情動的にもせず、絶妙なバランスで取り扱う。
スイさんの脱走も、一匹の不在も、「なかったこと」にはならなかった。ちゃんと扱われて、ちゃんと物語になった。多摩動物園の、処理の美学。
多摩動物園と、スイさんのファンはこれからも増えていくだろう。
参考サイト:






